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2026年1月4日更新

仙之助編 二十三の三

「慶應義塾の、福澤諭吉先生ですか」
 仙之助は興味津々にたずねた。
「いかにも。ご存じですか」
「いや、勉強不足で存じ上げません」
「長く異国におられたのですから無理からぬことです。私が英語を学び始めましたのは、仙之助さんと同じく万次郎殿の教本でしたが、ご維新後、本格的に英語を学びたいと思っていたところ、慶應義塾の噂を聞きつけた次第です」
「なるほど。本格的な英学塾なのですね」
「それだけではありません。福澤先生は、新しい世の中で我々が何をすべきかの指針も説いて下さいます」
「浜尾さんは何年くらい、そちらの塾で学ばれたのですか」
「三年ほどのことです。もっとも最後の一年は、横浜の藍謝堂という私塾に教師として出向いておりましたが」
「横浜の私塾?」
「さよう。創設者の名前をとって高島学校とも称されておりますが」
「高島……、もしや高島嘉右衛門(たかしま かえもん)殿のことですか」
「そうです。ご存じですか」
「もちろんですとも。横浜で知らない者はおりません」
「仙之助さんは横浜のご出身ですか?」
「お話していませんでしたか?」
「仙之助さんと富三郎さんについて伺ったのは、カウボーイと、捕鯨船と、ハワイ王国のお話だけですよ」
 そう言って浜尾は笑った。
「失敬致しました。私は武蔵国の寒村で漢方医の五男として生まれ、横浜で商売をしていた山口家の養子に入りました。万延元年、横浜が開港した翌年のことです」
「ほう、開港翌年の横浜ですか」
「開港地にいれば、嫌がおうにも異国や異人との接点があります。学問をするより、ただただ海の向こうに行きたいという気持ちが勝っており、気がついたら捕鯨船に乗り、ついにはカウボーイになっていた次第です」
「ハハハハ、仙之助さんはつくづく面白いお方だ。いや、失敬。面白いという言い方は失礼でしたな。何というか、私などの想像を越えたことをなさる」
「…………」
「それだけの英語の素地があるのですから、学問は今からでも遅くないですよ」
「そうでしょうか」
「帰国されたら、慶應義塾で学ばれたらいかがですか」