ジャパネスク 富士屋ホテル物語のイメージイラスト

2026年2月15日更新

仙之助編 二十三の九

 牛に餌を充分やり、落ち着いたところを見計らって、仙之助はコリアーと神風楼のある高島町に向かった。外国人居留地から海を見ながら桜木川に沿って歩く。不二見橋の手前に威風堂々たる神風楼はそびえていた。
 寺社建築に洋館の手法を取り入れた擬洋風の建物が二つ並んでいて、向かって左側が外国人専用だった。コリアーは、迷うことなく外国人専用の建物に入っていった。
 夕暮れが迫っていた。客で賑わう時間帯には少し早かったが、バルコニーに吊された照明器具に光が灯され、建物全体が妖艶な気配に包まれようとしていた。
 仙之助は、建物を見上げて、ふうとため息をついた。
 まがりなりにも妻と再会するのに、心躍るのではなく、躊躇しているような自分に戸惑いを感じながら、コリアーの後について玄関に立った。
 迎えてくれた番頭は知らない顔で、あらためて留守の年月を感じた。仙之助の顔を見ても、ぽかんとしている。
「マザージーザス、トメサン」
 玄関でコリアーは大きな声をあげた。
「ミスタ・コリアー?」
 座敷の奥から聞き覚えのあるトメの声が聞こえてきた。
「センノスケ、カエッテキタヨ」
 コリアーがあげた声に番頭が反応して驚いていた。
「仙之助さん、ですか?」
「はい、ただいま戻りました」
「ご苦労様でございました」
 番頭はそう言うと、仙之助とコリアーの前に室内履きを揃えた。玄関を上がって履物を履いた瞬間、奥から子供の泣き声が聞こえてきた。
 「あらあら、大きな声を出すから泣いてしまったじゃないの」
 子供を抱きかかえたトメが姿をあらわした。
 想定外の出来事に仙之助は呆然として立ち尽くした。
 さらにコリアーが相好を崩して子供の頰を撫でたことにも仙之助は動揺した。
 トメは仙之助を一瞥すると、何事もなかったように言った。
「お帰りなさい」
 仙之助は、なおも言葉を失ったまま呆然としていた。
「ああ、重い」
 トメはそう言って、手慣れた様子で子供をコリアーの胸に預けた。
 一歳を過ぎたくらいなのだろうか、よく見ると、子供はコリアーの禿げ上がった頭の脇に生えているのと同じ金色の巻き毛で、明らかに西洋人の血が混じっていることを感じさせる面差しだった。