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2026年1月11日更新

仙之助編 二十三の四

 太平洋横断の航海は、サンフランシスコを出発して数日の荒天が過ぎると、穏やかな航海が続いた。仙之助は大海原を見つめながら、帰国後のことを考えていた。
 テキサスロングホーンは、アメリカではテキサスから遠くに運ぶほど、高値になった。アメリカ人にとって、牛肉が大事な食料であり、テキサスの肉の美味しさを誰もが知っているからだった。日本では牛肉を食べる習慣は、さほど浸透していないが、居留地の商人であれば、その価値をわかってくれるに違いないという目論見があった。だが、牧畜業を始めるなどと、大風呂敷を広げたものの、どこで何をすればいいのか、牛を運んだ経験しかない仙之助には、皆目見当もつかなかった。
 五頭の牛は幸い健康状態も良く、心配はなかった。それだけに、この大博打が本当に正しかったのか、不安がもたげてくる。
 第一に考えなければならないのは牛のことだったが、仙之助は、浜尾が学んだという塾のことも気になってしかたなかった。船員たちとの会話は、仙之助のほうが流暢だったが、オークランドの兵学校で学んだことを綴った浜尾の帳面を見て、仙之助は自分の読み書きの能力のなさに愕然とした。
「確か慶應……、慶應の塾とおっしゃいましたね」
 翌朝には横浜に着くという最後の夜、仙之助は浜尾に再度、問いかけた。
「慶應義塾です」
「私のようなものでも入塾が許されるのでしょうか。学問と言えば、御維新前に浅草の漢学塾で多少手習いをしたことしかありません」
「もちろんですとも。それだけ英語の素養がおありになるのだから」
「その塾はどちらにあるのでしょうか」
「入塾した頃は芝新銭座(しばしんせんざ)の有馬屋控屋敷にありましたが、塾舎が手狭になって、三田の島原藩中屋敷に移転しました」
「江戸、いや東京の地理には、余り詳しくないのですが」
「芝の増上寺と言えば、おわかりになりますか」
「はい」
「おおむねその界隈ですな。どちらも大名屋敷が立ち並ぶあたりです、芝新銭座は、海に近いところで、三田は海を見下ろす丘の上にあります」
「ほう、丘の上ですか」
「さよう。見晴らしも良く、すぐ近くなのに新銭座(しんせんざ)とは吹く風も違うのです。腸チフスを患われた福澤先生が新銭座の湿っぽい土地柄を嫌ったのも移転の理由でした。」
「三田の……慶應義塾」
「ご心配なことがあれば、文部省に私をおたずねください。福澤先生にお声がけくらい致しましょう。太平洋を一緒に渡ったご縁です」
「心強いお言葉、ありがとうございます」