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2025年12月21日更新

仙之助編 二十三の一

 牧野富三郎は、太平洋郵便汽船のアラスカ号がサンフランシスコを出発する日の前日、オークランド経由の大陸横断鉄道で旅立っていった。
 船旅には経験豊富な仙之助だったが、牛を伴っての旅立ちは雑務が多く、別れの感傷に浸る暇もなかった。スティアリッジの一画に牛を積み込み、彼らの世話に追われる間に気がつけば船は桟橋を離れていた。
 出発後、数日は海が荒れた。牛たちも船酔いなのか、食欲がなくなった。浜尾新も馴れない航海で船酔いになったらしく、青い顔をしていた。強がる浜尾をキャビンで休ませ、もっぱら仙之助が牛の世話をした。
 ようやく天候が落ち着き、牛も浜尾も食欲を取り戻した。
 人心地ついた様子の浜尾と仙之助はデッキに出た。
「船酔いにやられて面目ないことでした」
「北太平洋は、これから天候の落ち着いた季節に入るので、もう大丈夫だと思いますよ。まあ、海の天候は気まぐれですがね」
「さすが捕鯨船の経験者は違いますね。鯨を追いかける航海の厳しさはこの数日の比ではなかったのでしょう」
「海が荒れることよりも、船上で鯨油を作る作業に慣れるまでは大変でした」
「捕鯨船の仕事は鯨を捕るだけではないのですね」
「鯨を捕る目的は鯨油ですからね。大きな鯨はそのままでは持って帰れない。肉を切り出して、大鍋で煮て鯨油にして樽に詰めるのです。煮詰める時の何ともいえない匂いには、さすがに馴れるのに時間がかかりました」
「万次郎殿も同じような体験をされたのでしょうね」
「そうでしょうね。私はお会いしたことはありませんが」
「私は一度だけ、お目にかかったことがあります」
「えっ?本当ですか」
「文部省に出仕してまもなくの頃でした」
「文部省?」
「私は文部省からの派遣留学生ですので」
 浜尾の出自を聞き、学問の素地のない仙之助は憧憬の感情を抱いた。
「万次郎殿は開成学校で英語を教えておられていたと聞きましたが」
「私が文部省に入った頃には、一線を退かれておりました。お目にかかったのは、欧州派遣の旅で病を得て、帰国後に中風を患った後のことでした。回復されてお元気になられていましたが、言葉を交わしたのは挨拶程度でした。万次郎殿のお話は、もっぱら福澤先生から伺いました」
「福澤先生?」
「はい、慶應義塾の福澤諭吉先生です」