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2026年3月1日更新

仙之助編 二十三の十一

 養父の粂蔵は上機嫌で仙之助を迎え入れた。
「おお、仙之助、達者で何よりだった」
「父上、お陰様で無事に戻ってまいりました」
「牛を連れてきたと聞いたぞ。お前は本当に突拍子もないことをするな」
「持ち帰りました牛は、テキサスロングホーンと申しまして、大変に価値のある牛でございます。私が長くおりましたテキサスに特有の牛でして、東部の大都市では高値で取引されます。大都市と結ぶ鉄道駅まで牛を連れていくことを牛のロングドライブと申しまして、私はそれを生業とする仕事をしておりました」
「なるほど。そんな貴重な牛ならば、海を越えて持ち帰れば、さらに高値で取引されると目論んだわけか。だが、我が国でその価値がわかってもらえるのか。そもそも居留地の異人はともかく、牛肉は牛鍋屋で食べるくらいのものだろう」
「はい……」
「牧畜業がしたいのか?」
「…………」
「神風楼には、もうこれ以上の金はないぞ」
「もちろんです。無心するつもりはございません」
「まあ、コリアーに相談してみるのだな」
 粂蔵は身内の者のような気軽さでコリアーの名前を出した。だが、とりたててトメとの関係性やウメコという子供の話をする訳ではない。
「早速、牛を留め置く場所を案内して頂きました」
「そうか、コリアーは役に立つ男だ」
 粂蔵もトメと同じ台詞を言う。肉の商売の経験があって、牛の扱いに慣れている以上の含みがある言葉だった。
 仙之助が返事に窮していると、座敷のふすまの向こうから声が聞こえてきた。
「お茶をお持ちしました」
 聞き覚えのある声だった。
 お茶を載せたお盆をもってあらわれたのは、すっかり娘盛りに成長したヒサだった。
「仙之助さんのお帰りをヒサは首を長くして待っておりました。ご無事のご帰還、本当にうれしゅうございます」
 頰をほんのり赤く染め、うれしくてたまらないといった表情のヒサに迎えられ、仙之助は、ようやく安堵の気持ちを覚えていた。
「そうか、待っていてくれたか」
「はい、毎日、港を見下ろす伊勢山の大神宮に行って仙之助さんのご無事をお祈りしておりました。太平洋航路の郵便汽船が入港する日は波止場にも参りました。でも、今日は大変な騒ぎで近づけなかったものですから、こちらでお待ちしておりました」