
2025年12月14日更新
仙之助編 二十二の十二
一八七四年当時、サンフランシスコと横浜を結ぶ郵便汽船は、おおむね月に一往復あった。船会社に問い合わせると、四月二十五日に出発のアラスカ号が直近だとわかった。
出発間際だったが、スティアリッジと呼ばれる下等船客の予約が少なく、彼らの区画の一部を牛の運搬用にあてがってもらうことで交渉が成立した。
アラスカ号は、一八七二年に横浜港で焼失したアメリカ号に代わって就航したもので、最も新しい船だった。その便には、通常勤務する船員のほかに別の船への交代要員ということだったのか、大勢の船員が乗船すると知らされた。
浜尾新は、テキサスロングホーンという珍しい牛そのものに興味があったようで、汚れ仕事も厭わず、何事も手際が良く、飲込みが早かった。
かつてはスティアリッジで太平洋を渡った仙之助だったが、今回はそれなりに懐も豊かであり、浜尾と共に二等船室を予約した。本来、上級船客はスティアリッジと行き来はできないのだが、牛の世話のため行き来することも承諾してもらった。
いずれにしても、たまたまの偶然で、船員ばかりで乗客の少ない便であることが幸いしたと言えた。牛の飲み水を確保してもらう約束をとりつけ、長旅に備えて大量の干し草も積み込んだ。
富三郎が同行しないことを浜尾に告げたのは出発前夜のことだった。
仙之助は、年かさで自分より牛の扱いに慣れた富三郎が同行しないことで浜尾が動揺することを心配したが、思いのほかあっさりとしていた。
出発前夜に気持ちが揺れたのは、むしろ仙之助のほうだった。
富三郎とはさまざまな行き違いもあったが、この数年は寝ても覚めても一緒だったし、なにより富三郎がいなければ、カウボーイになることもなかったし、こうして牛を連れ帰るなんて思いつくこともなかった。
これまで何度も別れては再会してきたが、今度こそ本当の別れになるのだろう。サンフランシスコならともかく、遠いテキサスから便りをもらうのは難しいに違いない。
「横浜に着いたら粂旦那によろしくお伝え下さい。富三郎はカウボーイになって草原を駆け回っておりますと」
「達者で暮らせよ。一人で心細くはないか」
「アビリーンに戻れば、顔なじみの仲間はいくらもいます。ジムにはちゃんと伝えます。ジョンセンは牛と一緒に太平洋を渡っていったとね。カウボーイとしてやっていける自信があるからこそ、テキサスに戻るのです。心配は無用です」
「馬乗りの下手な私とは違うよな」
「そうですよ」
富三郎は普段と変わらない笑顔で言った。
仙之助もいつものように富三郎を小突いて笑おうとしたが、どうにも鼻の奥がツーンとなり、涙がこぼれてくるのをおさえることができなかった。