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2026年3月15日更新

仙之助編 二十四の一

 牧畜業を興したいという山口仙之助の夢は叶わないまま、むなしく時が過ぎていった。テキサスの大草原ならばいざ知らず、横浜で牛を飼い続けるのはそれだけで金もかかる。蒸し暑い日本の夏も牛には辛いようで、目に見えて食欲が落ちた。
 ジョン・エドワード・コリアーは食肉の商売には長けていたが、ニューヨーク生まれの彼に牧畜業の知識はなかった。牛が弱ってしまわないうちに食肉業者に売却するよう、何度もせっつかれたが、仙之助は心を決めかねていた。
 九月の終わり、ついに仙之助は決断して二頭だけ牛を売却することにした。コリアーから示された金額は、牛を運んだ船賃や労力を考えれば満足のいくものではなかったが、残りの五頭を残すための苦渋の決断だった。
 仙之助は、牛の売却資金を餌代だけでなく、何か有意義なことに使わなければと考えた。無為に金が消えてしまったら、テキサスでカウボーイになった日々も意味のないものになってしまう。牛は、二度も太平洋を越えた自分の冒険そのものであると、いつしか仙之助は考えるようになっていた。そして、思い出したのが、浜尾新から聞いた慶應義塾のことだった。牛を売った金で、もう一度学問をしよう。
 下船する時には、すぐにも入塾したいと考えていたが、何よりも牛のことがあり、さらにコリアーの娘だというウメコのことで心を乱されていた。
 その後も当たり前のように、コリアーは毎日ウメコを連れて神風楼にやって来た。トメは、母親同然の愛情をもってウメコに接し、時には泊まっていくこともあった。仙之助は、粂蔵からもトメからも真相を聞かされないままだった。
 トメは、仙之助にも唐突な愛情を示す。帰国の翌日には、ごく自然ななりゆきで夫婦の営みもあった。トメに誘われれば、仙之助の身体は口惜しいほどに反応してしまう。その意味では、二人は紛れもなく夫婦だった。
 だが、ウメコのことが、それはすなわちコリアーのことなのだが、仙之助の心に常にわだかまりとして渦巻いていて、心が通じ合うことはなかった。
 仙之助が唯一、やすらげるのはヒサと過ごす時間だった。ヒサも仙之助のことを憎からず思っていることが、些細なやりとりからも実感することができた。ヒサは目を輝かせて外国人宣教師が教える英語塾のことを話す。そのことにも刺激を受けた。実地で身につけた仙之助の英語は、会話は達者だが、読み書きは全く駄目だった。ヒサに教えを請われた宿題も手がつけられなかった。そんな自分に劣等感を持っていたこともある。
 浜尾新にあらためて入塾を相談する便りを出すと、再会をかねて三田の山で会おうと返信があった。浜尾自ら、塾長の福澤諭吉に紹介してくれるという。
 そもそも平民で、漢学塾で学んだことがあるだけの仙之助の突飛な経歴は、自分自身で話すと絵空事のようで、とんだほら吹きと思われかねない。カリフォルニアから同行した浜尾の紹介があれば心強かった。
 十月のよく晴れた日、こうして仙之助は満を持して慶應義塾を訪問した。