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富士屋ホテルFujiya Hotel
一八七八年創業の富士屋ホテルが、その「本性」をあらわすのは、夜と朝だと思っている。夜の帳が降りる頃、あるいは黄金色の朝日に包まれる頃、時の彼方に封印してされてきた「物語」が、つかの間、目を覚ます。
だが、最近、そうしたゆったりした時間をホテルで過ごしていないことに気づく。この頃の私は、いつも真っ先に資料館の奥にある、倉庫になっている一室に急ぐ。
『箱根富士屋ホテル物語』を出版して十数年になる。一時期は、離れようとしたテーマだったが、倉庫に埋もれた数多の資料に、そして富士屋ホテルという窓が切り取る時代の先に、さらなる「物語」があることを、この頃、改めて確信している。
しかも、それは、単なる一ホテルの、あるいは一家族の「物語」を越えた普遍性をもつのかもしれない、と思うことがある。なぜなら、富士屋ホテルは、確かにある時代、歴史の目撃者であったからだ。
いつも手元においている『富士屋ホテル八十年史』という年史を編纂したのが、私の祖父の山口堅吉だった。富士屋ホテルが山口家の同族経営だった最後の社長を勤めた人である。調べものが好きで、ホテルの仕事の合間を見ては、上京して日比谷図書館に通っていたと聞いたことがある。
私は、この祖父の血を引いているのだと、ふと思うことがある。
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